2018年01月27日
「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジ in 大分」に参加
「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジ in 大分」に参加するため大分大学に行く。100人近い文化人が80講座を開講している。ワタシは3つに参加した。
◆「マンガってスゴイ!」谷川彰英、里中満智子、ちばてつや、本木克英、真木太郎
ナビゲーターの人が、講座に参加するにはテーマで選ぶか講師で選ぶかの2つの動機に分かれます。この講座は圧倒的に後者です。里中満智子とちばてつやが同時に登場する講座など例がありませんと紹介する。
里中満智子さんはかなり能弁な方で、「マンガ家になった動機を5分程度で話をしてください」と言ったら、15分くらい話してた。
マンガ家は一人で映画監督、脚本、衣装、小道具、大道具までやれる人で、映画だとすごい金がかかるが、マンガだと紙と筆記用具があればできてしまう。
外国ではマンガ家というのは絵がうまい人がなるものと思っているが、日本ではストーリーが作れることのほうが大事とされている。
外国ではマンガは識字率の低い子どものために、善悪、結末がはっきりしているものだが日本は文学や映画に近いものとして独自の発達をしてきた。それはつねにイノベーションを図ろうとする日本人の気質からくるものだ。
といったような話が興味深い。
キャラクターの重要性で、キャラクターさえ描ければそれでストーリーができていく場合もあるし、ストーリーが先でも、この困難を乗り越えるならこういうキャラが必要、乗り越えることができないとするならこういうキャラが必要とキャラが決まってくる。どちらにせよキャラが生きていないと主人公の性格がかわっていき、作品としては失敗する。
ちばてつやは、「のたり松太郎」をあげ、自分の性格と対極のキャラをつくろう。ジャイアンのような勝手なキャラも1週間くらいならやってみたいと単発の作品で描いたら、人気を呼び、30年くらい続いてしまった。
質問者から、ちばてつやの作品では登場人物が死ぬことが多いが、それは戦争体験から来ているのか。また、「あしたのジョー」の最後は死んでいるのかという質問がある。
「あしたのジョー」のラストシーンは、生きてるか死んでるかは考えないで、炭が燃え尽きて白くなっていることをイメージして描いた。自分の体調がいい時は、「あれは生きてる」と思い、体調の悪いときは「死んでるんだ」と思う。
ただ法医学者の上野さんが鑑定してくれて、肘で身体を支えている、口角があがっていることから、これは生きてます。と判断してくれた。ですからあしたのジョーは生きてます と言ったら、笑いとともに大拍手となった。
「あしたのジョーは生きている」 連載開始から半世紀、法医学者が鑑定 https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/joe?utm_term=.kmDwllKkv#.wgKJ11p7V
登場人物が死ぬことが多いのは、自分は満州からの引き上げ組で、たくさんの人が死ぬところを見た経験がDNAに刷り込まれている。そのせいだろうと思うと語ると、別の87歳のおばあちゃんが、手をあげて、「ワタシも満州からの引き上げ組です。ちば先生のこともよく存じ上げています。よくぞ生きて引き上げてくれました。おかげでマンガを通して皆が幸せになりました」と涙ぐんで話をしたので、ちばさんも感激して、自分の描いたマンガをその女性にあげ演壇で抱き合っていた。みんな涙と拍手。
いやぁなかなかスゴイ講義でした。
◆「はじめての落語」 山本益博、林家正蔵
山本益博はグルメ評論家として有名だが、落語評論家もやってるんですね。林家正蔵は、エンジン01の会員ではないのだが、無理に来てもらった。しかも無料でとのこと。
落語の初歩的なこと、林家三平の話などしてくれた。正蔵はお父さんの芸風が好きではなく、古今亭志ん朝に憧れた。それで古今亭一門に入ろうとした。しかし、それだと、一人前になったらまた林家家に戻ることになるだろう。若い時の面倒な世話だけをさせるのは失礼だと三平さんは反対した。
三平さんが亡くなる時、すでに意識がなかったので、先生に強い薬を打って意識を戻して最後の別れをした。
先生が「三平さん」と話かけると、手を頭にあてるしぐさをした。
「あなたの名前は何ですか」と聞くと「加山雄三です」と答えて、それが最後になった とのこと。
後半は高座が会場に作られていて、「しじみ売り」を語った。高座IN講座ですね。黒板の前で落語をするのは初めてとのこと。
林家正蔵というと親の七光りで落語はヘタという扱いをされているが、とんでもなくてうまい。噺だすと声の大きさもかわり、登場人物を見事に演じ分けて落語の世界に引き込んでいく。「叩かないでくださいよ。日馬富士じゃないんだから」といった小ネタも入れていく。
◆「観ないで死ねるか!オススメ映画」三枝健起、村上典吏子、本木克英、蜷川有紀
それぞれがオススメの映画を語るスタイル。ネットやDVDで動画を用意して、それを見せながらの紹介なのだが、つながりが悪かったりして、ちゃんと動画が動くかが見てるほうの興味になってしまった。
三枝さんはショートカットの女の子の映画が好きと「シベールの日曜日」など。
本木さんは木下恵介の助監督だったので、「二十四の瞳」など木下作品を。
蜷川さんはSF映画が好きなので「ブレードランナー」などを推薦していた。
若い時に見て感動したものということで、名作が並んでいて、たいがいは見ている。オススメの映画の切り口が違うので話がうまく噛み合わずイマイチ不発感がある。
有名人の上から目線の気の抜けた雑談かなとあまり期待しないで参加したのだが、どれも面白かった。80講座でいろんなドラマがあったことだろう。どれも見たくなりますね。
こういうのってテレビでやれないかなぁと思う。「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジ in Eテレ」なんてどうでしょう。
里中満智子さんが、マンガはなくても誰も困りません。けど、感動することで生きててよかったと思えるので必要なのです と言っていたが、文化自体がそういうものではないかと思う。
◆「マンガってスゴイ!」谷川彰英、里中満智子、ちばてつや、本木克英、真木太郎
ナビゲーターの人が、講座に参加するにはテーマで選ぶか講師で選ぶかの2つの動機に分かれます。この講座は圧倒的に後者です。里中満智子とちばてつやが同時に登場する講座など例がありませんと紹介する。
里中満智子さんはかなり能弁な方で、「マンガ家になった動機を5分程度で話をしてください」と言ったら、15分くらい話してた。
マンガ家は一人で映画監督、脚本、衣装、小道具、大道具までやれる人で、映画だとすごい金がかかるが、マンガだと紙と筆記用具があればできてしまう。
外国ではマンガ家というのは絵がうまい人がなるものと思っているが、日本ではストーリーが作れることのほうが大事とされている。
外国ではマンガは識字率の低い子どものために、善悪、結末がはっきりしているものだが日本は文学や映画に近いものとして独自の発達をしてきた。それはつねにイノベーションを図ろうとする日本人の気質からくるものだ。
といったような話が興味深い。
キャラクターの重要性で、キャラクターさえ描ければそれでストーリーができていく場合もあるし、ストーリーが先でも、この困難を乗り越えるならこういうキャラが必要、乗り越えることができないとするならこういうキャラが必要とキャラが決まってくる。どちらにせよキャラが生きていないと主人公の性格がかわっていき、作品としては失敗する。
ちばてつやは、「のたり松太郎」をあげ、自分の性格と対極のキャラをつくろう。ジャイアンのような勝手なキャラも1週間くらいならやってみたいと単発の作品で描いたら、人気を呼び、30年くらい続いてしまった。
質問者から、ちばてつやの作品では登場人物が死ぬことが多いが、それは戦争体験から来ているのか。また、「あしたのジョー」の最後は死んでいるのかという質問がある。
「あしたのジョー」のラストシーンは、生きてるか死んでるかは考えないで、炭が燃え尽きて白くなっていることをイメージして描いた。自分の体調がいい時は、「あれは生きてる」と思い、体調の悪いときは「死んでるんだ」と思う。
ただ法医学者の上野さんが鑑定してくれて、肘で身体を支えている、口角があがっていることから、これは生きてます。と判断してくれた。ですからあしたのジョーは生きてます と言ったら、笑いとともに大拍手となった。
「あしたのジョーは生きている」 連載開始から半世紀、法医学者が鑑定 https://www.buzzfeed.com/jp/ryosukekamba/joe?utm_term=.kmDwllKkv#.wgKJ11p7V
登場人物が死ぬことが多いのは、自分は満州からの引き上げ組で、たくさんの人が死ぬところを見た経験がDNAに刷り込まれている。そのせいだろうと思うと語ると、別の87歳のおばあちゃんが、手をあげて、「ワタシも満州からの引き上げ組です。ちば先生のこともよく存じ上げています。よくぞ生きて引き上げてくれました。おかげでマンガを通して皆が幸せになりました」と涙ぐんで話をしたので、ちばさんも感激して、自分の描いたマンガをその女性にあげ演壇で抱き合っていた。みんな涙と拍手。
いやぁなかなかスゴイ講義でした。
◆「はじめての落語」 山本益博、林家正蔵
山本益博はグルメ評論家として有名だが、落語評論家もやってるんですね。林家正蔵は、エンジン01の会員ではないのだが、無理に来てもらった。しかも無料でとのこと。
落語の初歩的なこと、林家三平の話などしてくれた。正蔵はお父さんの芸風が好きではなく、古今亭志ん朝に憧れた。それで古今亭一門に入ろうとした。しかし、それだと、一人前になったらまた林家家に戻ることになるだろう。若い時の面倒な世話だけをさせるのは失礼だと三平さんは反対した。
三平さんが亡くなる時、すでに意識がなかったので、先生に強い薬を打って意識を戻して最後の別れをした。
先生が「三平さん」と話かけると、手を頭にあてるしぐさをした。
「あなたの名前は何ですか」と聞くと「加山雄三です」と答えて、それが最後になった とのこと。
後半は高座が会場に作られていて、「しじみ売り」を語った。高座IN講座ですね。黒板の前で落語をするのは初めてとのこと。
林家正蔵というと親の七光りで落語はヘタという扱いをされているが、とんでもなくてうまい。噺だすと声の大きさもかわり、登場人物を見事に演じ分けて落語の世界に引き込んでいく。「叩かないでくださいよ。日馬富士じゃないんだから」といった小ネタも入れていく。
◆「観ないで死ねるか!オススメ映画」三枝健起、村上典吏子、本木克英、蜷川有紀
それぞれがオススメの映画を語るスタイル。ネットやDVDで動画を用意して、それを見せながらの紹介なのだが、つながりが悪かったりして、ちゃんと動画が動くかが見てるほうの興味になってしまった。
三枝さんはショートカットの女の子の映画が好きと「シベールの日曜日」など。
本木さんは木下恵介の助監督だったので、「二十四の瞳」など木下作品を。
蜷川さんはSF映画が好きなので「ブレードランナー」などを推薦していた。
若い時に見て感動したものということで、名作が並んでいて、たいがいは見ている。オススメの映画の切り口が違うので話がうまく噛み合わずイマイチ不発感がある。
有名人の上から目線の気の抜けた雑談かなとあまり期待しないで参加したのだが、どれも面白かった。80講座でいろんなドラマがあったことだろう。どれも見たくなりますね。
こういうのってテレビでやれないかなぁと思う。「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジ in Eテレ」なんてどうでしょう。
里中満智子さんが、マンガはなくても誰も困りません。けど、感動することで生きててよかったと思えるので必要なのです と言っていたが、文化自体がそういうものではないかと思う。